激戦地コレヒドール島

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約4500名の日本兵が命を落としたフィリピン・コレヒドール島。 今でも当時の砲台や、要塞跡が残っていて、戦争によって人々の生活していた空間が破壊され生々しい様子を見る事ができます。

そして廃墟となった建物が、70年かけて育った植物に飲み込まれ、自然の偉大さも同時に感じます。

Esplanade Seaside Terminal (メトロ・マニラ)

コレヒドール島へのアクセス及びツアーは、サンクルーズ社が独占しているので、サンクルーズ社のツアーでのみ訪れることができます。 マニラ湾のシーサイドターミナルから、フェリーに乗車してコレヒドール島へ向かいます。コレヒドール島までは約1時間です。

兵舎の廃墟

兵舎の廃墟は米軍によって作られたものだが、日本のコンクリートを使用しているとか。

Battery Way

米軍によって作られた大砲の数々が並びます。大砲には被弾した跡もそのまま残っている。弾薬庫の壁は崩れて鉄筋がむき出しに。
鉄筋をツイスト状にしてその上からコンクリートを塗ることで、被弾してもコンクリートが崩れないようにしているとか。

Fort Mills Hospital

米軍によって建設されたフォート・ミルズ病院跡。コレヒドール島が日本軍の占領下にあった間は、日本軍にも病院として使われていたといいます。病院には中庭もあり、広々としています。

戦闘機のパイロットにここが病院であると知らせるために、この病院を上空から見ると十字架の形になっているといいます。

当時、「教会、病院、学校は空爆してはいけない」と条約で定められていましたが、日本はその条約にサインをしていないため、この病院も爆撃対象となりました。

ショッピングモール

「ショッピングモール」と呼ばれる商業施設跡地。米兵が食べ物などを買うための場所でした。 こういった場所が残っていると、「ここに人が住んでいた」という過去をはっきりと感じることができます。

国旗掲揚のポール

マイル・ロング兵舎の前の広場には、国旗掲揚のポールが。 フィリピンの統治者がスペイン→アメリカ→日本と移り変わるごとに、ここで掲げられる国旗も変わったといいます。

マイル・ロング兵舎

1914年に建設されたマイル・ロング兵舎は世界で最も長く続く兵舎です。敷地内には、プールや映画館、ゴルフコースもあり、まさにソルジャーズパラダイス(兵士の楽園)でした。この兵舎も日本軍の爆撃により廃墟と化してしまいました。
 

マイル・ロング兵舎広場

広場には当時のマシンガンなどが残っています。

 

博物館

マイル・ロング兵舎の隣には、ミュージアムがあり、戦時中の写真や日本占領下にあった時代のお札、日本軍や米軍の装備品や銃などが展示されています。

太平洋戦争の記念碑。

米軍高官の家の跡地

ジャングルの中には他にもたくさんの廃墟が。

慰霊碑

コレヒドール島の戦没者だけのための慰霊碑もあります。日本軍が設置した大砲群のすぐ傍にあります。

観音像や石板に囲まれた慰霊碑以外にも、庭園内には様々な慰霊碑が立てられています。

コレヒドール島だけでも6000人近い日本軍の兵士たちが犠牲になり、フィリピンでは50万人の日本の兵士たちが犠牲になりました。そしてフィリピン人の犠牲は100万人を超えます。

この日本平和庭園は、日本の兵士たちのみならず、太平洋戦争下のフィリピンで犠牲になった全ての人々のための弔いの場所です。

平和祈願のための観音像

庭園内に立てられた数々の碑の中で最も象徴的なのが、全ての戦没者を悼み、平和祈願のために立てられた観音像です。建てられた観音像に関する説明もちゃんとあります。日本語と英語の両方で記載されています。

観音像の説明の横には、フィリピン全土での戦没者を悼む慰霊碑があります。こちらも日本語と英語の両方の記載があります。無数の犠牲者を出した悲劇の場所でありながら、この島に暗さを感じないのは、観音像や慰霊碑を建てた善意ある人々の想いを読み取れるからかもしれません。

 

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