フィリピンでバターン死の行進という日本軍がアメリカ軍に対して残虐行為をしたと伝えられています。
アメリカ軍はコレヒドール要塞に立て篭もっていましたが、状況は不利になり、マッカーサーは部下を置いてトンズラしています。
残った部下たちは餓死するかマラリアなどの病気で死ぬしかありません。そして日本軍に投降しました。日本側はアメリカ軍捕虜2万5千と見積もっていましたが、7万5千が投降してきたのです。
捕虜に与える食糧も不足しており、捕虜収容所へ輸送するトラックも不足しており、マリベレスからサンフェルナンドの区間88キロを、捕虜の半数以上が徒歩で行進することになりました。
これが死の行進というプロパガンダに使われたのです。この距離なら、だいたい3日もあれば歩けます。しかし、衰弱していた人やマラリアにかかった捕虜が途中で亡くなりました。
日本軍の拷問とされる行為
テニー氏の著書「我が地獄からの兵役」の内容の検証「板に大の字に寝かせ足を十インチ高くする。それで塩水を飲ませる」
アメリカがフィリピン占領のときにアギナルド軍に対してもやった拷問で「水治療」というものだそうです。アメリカ軍がやったことを日本軍にすり替えたわけです。フィリピン人の証言にも日本軍がこの「水治療」をやったことが書かれていますが、おそらく拷問の現場を見ていないのでアメリカがやったことを想像して証言しているのでしょう。
「竹をひも状にして親指を縛られぶら下げられた」
ゲーリー・クーパー主演の「海の魂」で海賊の拷問なのだそうです。日本人は知りません。
「指の爪の間に竹ひごを突っ込まれ、そこに火をつけられた。指が焼けた」
これもクーパーの映画「ベンガルの槍騎兵」か「ボージェスト」なのだそうです。
テニー氏の話の信頼性
テニー氏は水牛狩りを手伝わされ、日本兵が銃を貸してくれて狩をした、というものです。失敗して銃の台尻で殴られたのだそうです。
捕虜に銃など渡しますか。それに日本軍は銃は天皇陛下からの頂き物という意識があったのでそのような使い方はしないでしょう。
当時を知るフィリピンの画家、ダニエル・H・ディソンさんはサンフェルナンドから鉄道に乗せられて移動してくる捕虜にアンヘレスというところで現地住民が食糧を与えている様子を著書に記しています。
「それぞれの車両の屋根には銃剣を構えた日本兵が見張りに立っていたのですが、兵隊たちは食べ物が捕虜たちに与えられているのをただ見ているだけでした。
列車の周りにいる人々は、大声を上げ、あるいは悲鳴を上げながら、水の入ったビンやビスケット、玉子、サトウキビ、バナナの葉でくるんだライスなどを次々に投げ入れていました。 それを兵隊たちは何もせずに見ており、笑ってさえいたのです」
捕虜を意図的に虐殺しようとしていたのであれば、このような光景はあり得ないでしょう。