「海外の観光地ではスリが大変多い。とくに日本人はカモにされやすいから注意しなければならない」テレビや雑誌などでは、よく言われている。
ただどうしても、「そうは言っても、自分だけは大丈夫だろう」と思ってしまうのが人間である。
「自分は大丈夫」が招く悲惨な被害
マニラに到着したときには深夜1時を過ぎていた。そのまま予約していたホテルに向かう。ホテルの周りには売春施設がたくさん並び、あからさまに治安が悪かった。歩いていると、
「シャチョーシャチョー」
と声をかけられる。逃げるように早歩きでホテルに向かい、チェックインした。
翌朝、知人とショッピングモールに行って、ご飯を食べることになった。出発前は慌ただしく、荷物を整理することができなかった。財布も普段使っているものをそのまま持ってきていた。
食事が終わったらいったんホテルに戻る予定だったので、小型のボディーバッグの中に財布とレンタルのポケットWi-Fi、iPad、充電バッテリーを突っこんだ。パスポートも入ったままだった。
ボディバッグと一眼レフカメラは、背中に背負うように持っていた。歩道にはスマートフォンのカバーや、サンダル、ターバンなどを売る露店が出ていた。露店を見たり、スマートフォンで看板の写真を撮ったりしながら歩いていた。
歩いていると突然背後から「ガシャーン」と物が落ちる音がした。慌てて振り向くと、僕のスマートフォンの予備バッテリーが落ちていた。
「え?」
と思うとボディバッグのファスナーが全開になっている。慌ててカバンの中を探ると、財布とレンタルポケットWi-Fiがなくなっていた。知人もまったく気がつかなかった。あまりに気がつかなかったので、スリにあったと確信できないくらいだった。
予備バッテリーが落下していなかったら、ホテルまで気がつかなかったかもしれない。
パスポートは無事だったものの…
財布の中身は日本円7万円と3000フィリピン・ペソ(1万円程度)、銀行のカード、クレジットカード、運転免許証などが入っていた。「なんでこんなに日本円持ってきたんだ」「使わないカードは日本に置いてくるべきだった」などなど、ひどく後悔した。
パスポートをなくしていたら、日本大使館、総領事館に行ってパスポートの失効手続きをしなければならない。パスポートが再発行されるまでは、帰国できない。たまたま知人がいたからよかったが、もし1人旅だったらと冷や汗をかいた。空港までのタクシー代金も払えなかったかも…。
警察署らしき建物を見つけた。中に入って警察官に事情を説明する。盗まれた場所までバイクの後ろに乗るように言われた。警察官はビュンビュンと飛ばしていく財布を落としたと思われる場所にたどりついた。
警察官は路上販売をしていた人に事情を聞いた。聞かれた側は、あからさまに迷惑そうな態度で質問に答えている。
盗難保険を利用した旅行客の保険金詐欺
再びバイクに乗って管轄の警察署に移動した。事情聴取が始まった。警察官はかなり強い口調で、取り調べのような雰囲気になった。
そのときはなんでこんなに強い感じで事情を聞くんだろう? と思ったが、あとから話を聞いて合点がいった。保険の詐欺をするために、ウソの申告をする日本人が多いのだそうだ。
日本で盗難保険に入っておいて、盗まれたとウソの申告をして保険金を受け取る保険金詐欺だ。保険を受け取るためには、現地の警察にポリスレポートを書いてもらわなければならない。
世の中には、そういうケチな悪党はたくさんいるのだろう。そういう悪党のせいで、本当に被害にあった人が困ることになるのである。本当に財布が盗まれたのかどうかを確認するため、現場の対面にあったコンビニエンスストアの防犯カメラをチェックすることになった。
防犯カメラを管理する事務所に入り、足取りをチェックする。スリの被害にあったと思われる場所の近くにあったセブンイレブンの防犯カメラには、歩いている様子がバッチリ映っていた。
後ろにだけ人だかりができた。その中の数人は日傘を開いている。日傘のせいで防犯カメラから姿は完全に隠れた。警察官は、「たぶん、この瞬間に盗まれたんだな! こいつらはスリ集団だな」と言った。
同行者すら気づかない、腕利きのスリ集団
画像を見ると、周りにだけ人が集まっているという、かなり異常な状態だ。皆さんも、その場面の写真を見たら、「いや、普通気づくでしょ? これだけ囲まれていたら」と思うだろうが、すぐ隣を歩いていた知人もまったく気がつかなかった。
日傘で周りの目から隠れた後、ボディバッグのファスナーを開け、財布とポケットWi-Fiを盗んだのだろう。まるでマジックのようだ。防犯カメラを見て、本当にスリの被害者だとわかり、警察官は態度を軟化させた。
長身の警察官が肩をパンパンたたきながら話しかけ、「カバンを後ろに持ってたって? ダメだよ! カバンは絶対に前! 前! 前!
ファスナーが開けられない場合は、ナイフでカバンを切って開けることもあるんだ。今度からは絶対に注意して! カバンは前!! オーケー?」とかなり大きな声で注意された。
フィリピンは「麻薬戦争」の真っただ中
警察官たちは人懐っこいし一見緊張感はなさそうだが、ドアが開いて人が入ってくるときにはスッと目が座る。そして反射的に右手を腰の拳銃に当てる。
フィリピンはロドリゴ・ドゥテルテ大統領の号令の下、麻薬一掃をめざす“麻薬戦争”が起きている。使用者や密売人が最低でも5000人、説によっては2万人以上が殺されたと言われている。
部屋の中で陽気に笑っている警察官も、麻薬戦争で戦っている人たちなのだ。そう思うと、彼らを見る目も少し変わった。
旅行の最終日、まずは警察に提出するレポートを代筆してくれる代行屋さんを訪れた。店の奥に、小さい部屋がありパソコンが1台置かれていた。パソコンはケースがなく中の配線が丸見えになっている。
店の人に書類を作ってほしい旨を伝えると、恰幅のいい赤いTシャツの男性がパソコンの前に座り、書類作成ソフトを立ち上げた。スリにあった年月日、場所、状況などを説明していく。
「ドライバーズライセンス!! なんでそんなの持ってたの! ダメね! 日本人優しいね! 日本人ホント優しいね!」
優しいというのは心根が優しいという意味ではなく“ワキが甘い人”“ちょろい奴”という意味のようだ。
何が何でも「カバンは絶対に前!」
「ここらへん悪い人いっぱいよ! ドロボーいっぱいいるよ! 子どもやレディボーイすぐすり寄ってくるけど気をつけて。それとカバンは前! 絶対にいつも前! 日本人のあなたカバン盗られる、わたし心痛いよ」
と感情をこめて言われ、本当に反省した。書類の制作には1500円ほどかかった。まずまず高い額だ。同行者がいなかったら、払えなかったかもしれない。
先日会った警察官に書類を渡すが、混み合っていてなかなか手を付けてもらえない。「日本人かい? ドロボーにあったのか? 実は犯人のドロボーはコイツなんだよ!」と言って、若手警察官を指差した。署内でドッと笑いが起きる。
ポリスレポートをもらうために、かなり長時間警察署に拘束されたので観光する時間は大幅に減った。
油断が招いた痛すぎる代償
日本に帰ってきてからは、いったんフィリピンからの電話で止めていた銀行のカードを復旧、免許証の再発行などで丸2日かかった。
旅行の保険には入っていたのだが、決定的瞬間が防犯カメラに写っていなかったので(日傘で隠れていた)、『盗難』ではなく『紛失』の扱いになった。免許証の再発行料である3500円が保険でカバーされるだけだった。
(被害にあったレポータの記事より)