かってのマニラ日本人町

江戸幕府の切支丹追放令で多くの日本人宗徒がルソン島へ流された。その中でも高山右近( 1552〜1615 )と内藤如安 ( ないとう   じょうあん )( 1550?〜1626? ) は切支丹大名としてよく知られた人物たちです。

1612年、徳川幕府の切支丹禁教令が出され、高山右近と内藤如安は家族や家来また宣教師たちと共に呂宋島(現在のフィリピン)に1614年に追放され、2か月の船旅の後マニラに到着した。

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ある比女性の話

 日本へ行くことになった経緯

ハイスクール卒業後の17歳のとき、付き合っていた男性との間に子どもができて出産しました(16歳で卒業)。

フィリピンでは仕事の機会が少なく給料も安いため、シングルマザーとなった私は、母に娘を預けて日本に行くことにしたんです。私はダンスが好きで、その頃は日本行きを斡旋するエージェントが沢山いました。

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日本の環境

 

外国人労働者の受け入れを公に認めてこなかった日本が事実上いち早く門戸を開けたのは「エンターテイナー」とよばれるフィリピン人女性たちに対してだった。

高度経済成長を遂げた日本は1980年代、歓楽街での人手不足から、フィリピン人の女性たちに対して「興行ビザ」の発給を始めた。興行ビザは芸能やスポーツなどのために来日する人に与えられるビザだ。

女性たちはフィリピンでオーディションに合格し、歌やダンスのレッスンを経て日本にやってきた。しかし、実際の彼女たちの仕事の中心は客の接待であり、同伴(店外デート)や売春を強要する店もあった。

こうした矛盾を抱えながらフィリピン人女性たちが働く店は日本全国に拡大、いわゆる「フィリピンパブ」として定着していく。当時は年間数万人のフィリピン人女性が日本へと入国したと云われる。

しかし、各地で女性たちが暴行や性的虐待を受けていたことなどが明るみになり、日本への国際的な批判が徐々に高まる。2005年からは興行ビザ発給の条件が厳格化され、その後興行ビザによる入国は減少した。

20年以上続いた大規模なエンターテイナーの受け入れは多くのフィリピン人女性たちの人生を左右した。日本人男性と結婚した女性もいれば、客との間にできた子どもを未婚のまま出産した女性もいる。

こうした背景から、1980年代以降、日本人とフィリピン人の両親から生まれる子ども「ジャパニーズ・フィリピノ・チルドレン」の出生が増え、現在その子どもたちの数は日本フィリピン両国を合わせて数十万人にのぼるともいわれています。

 

フィリピンと日本の文化の違い

フィリピンに住むときに気になる情報のひとつがフィリピンの文化です。日本との文化の違い、あらかじめ知っておいたほうがいいことがいくつかあります。フィリピンで生活していて感じる日本との違いや注意点などをまとめます。

※なお、レートは1フィリピンペソ=2.1円で、1円以下の金額は繰り上げて計算しています。(10000円=約4600ペソ)

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出入国書類の書き方

入国カード

全員必要

書式は予告なく変更になる場合があります。

フィリピン入国カード
1: パスポート・ナンバー
2:
3:
4: ミドルネーム
5: 生年月日(月・日・西暦)
6: 国籍
7: 性別(男性:MALE・女性:FEMALE)
8: 現住所
9: フィリピンでの住所(ホテル名)
10: 連絡先電話番号/メールアドレス
11: 職業( 「英語での職業記入例」参照)
12: 個人ID番号 (無ければ空欄)
13: 便名(入国時)
14: 出発空港
15: ACR-Iカード番号 (無ければ空欄)
16: 渡航目的
(休暇(バケーション)/会議/教育・トレーニング/公式ミッション/医療/ビジネス/帰国/雇用/OFW/宗教/その他)
17: 署名
18: 到着日
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深刻な水不足

フィリピンの首都マニラがここ約10年で最も深刻な水不足に見舞われている。インフラ整備の遅れや需要増加に加え、ダムの貯水量が減少したことなどが原因。

複合企業アヤラ傘下の公益会社でマニラの東半分の地域を管轄するマニラ・ウォーターは今回の水不足の責任を認めている。ここ数日で状況は緩和されたが、官民挙げて即時かつ長期的な解決策をなお模索している。

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フィリピン人労働者の受入れ拡大へ

フィリピン労働雇用省(DOLE)のシルベストル・ベリョ労働雇用相は3月19日、日本の警察庁、法務省、外務省および厚生労働省と東京で会談し、在留資格「特定技能」を有する外国人材に関する制度の適正な実施のための基本的枠組みに関する協力覚書に署名した。

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激戦地コレヒドール島

約4500名の日本兵が命を落としたフィリピン・コレヒドール島。 今でも当時の砲台や、要塞跡が残っていて、戦争によって人々の生活していた空間が破壊され生々しい様子を見る事ができます。

そして廃墟となった建物が、70年かけて育った植物に飲み込まれ、自然の偉大さも同時に感じます。

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フィリピンの世界遺産

フィリピンは長い間スペイン、アメリカ、日本などに統治された歴史を持つため、さまざまな外国文化が生活の中に根付いています。

キリスト教を信仰する人が多い、英語を話せる人が多いというのには、そういった背景があります。フィリピンには世界遺産が6件あります。文化遺産3件、自然遺産3件を簡単に紹介します。

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細菌性皮膚感染症 ピグサ

命にかかわることはないけど、普通にしていても、寝ている時でも激痛で起きてしまう細菌性皮膚感染症のピグサ(Pigsa)、ビサヤ語でマタグ・ティキ(matag tiki)という病気。

フィリピン人によると、細菌性皮膚感染症のピグサ(Pigsa)は人から人に感染するよりも、自分の他の体の部位に転移するようです。海外にいる時に何かあった時に困るから、海外旅行保険に加入はしたほうがいいです。

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